「文明」と「文化」の違い
昔読んだ本で著者も書名も忘れてしまいましたが、話の内容だけ今もはっきりと覚えていることがあります。「文明」と「文化」について書かれていて、その違いを端的な言葉で定義していました。
“「文明」とは誰もがたやすくは成し得ないことを、誰もがたやすく成し得るように働く力であり、「文化」とは誰もが簡単に成し得ることを、誰もが簡単には成し得ないように働く力である”と。
例をあげて言えばこうです。昔は一日に何百キロも移動するなんてことは、特別訓練した人間でも不可能でした。ところが自動車という乗り物は、誰もが簡単に数百キロ移動することを可能にしました。自動車という物を生み出す方向に働く力を「文明」というと。逆にお茶に湯を注いで飲むという行為は子供でもできる事ですが、茶の湯となるとそうはゆきません。喫茶という誰もが簡単にできることを、誰もが簡単には出来ない茶道という体系に作り上げて行く方向に働く力を「文化」というと。
「文明」に偏る住まい
「文明」か「文化」か、どちらが優れているかという二者択一の話ではありません。どちらも大切です。ただ、住まいについて我われはあまりにも「文明」にばかり感心を持ち過ぎていないか?と自省しているところです。不動産広告は利便性や性能を声高に謳い、その物件がいかに「文明」的で有るかを競い合っているように見えます。悪いことではないでしょう。しかし私が物足りなく思うのは、その力の入れように見合う「文化」的なもののアピールが見られない事です。多分、それは訴えかけたとしても単なるラベルのようなものとなってしまうのでしょう。(不動産広告で全くでたらめな茶道具の配置のまま〈茶の湯が楽しめます〉というような写真を見せられるのは本当にガッカリします。)「文化」とは広告宣伝できない物なのかもしれません。
〈楽しみ〉は「文化」のなかに
「文明」の恩恵を追い求めて行けば、生活は利便性を増して快適になって行くのは確かです。ところが楽しみについてはどうでしょう。増してゆくでしょうか? 茶の湯とまでは行かなくても、“炭火で焼く干物で一杯”の楽しみについては下戸でも理解できます。ところが、それはなかなか手間のかかることです。そもそも〈炭〉という燃料が、ガスや電気のような工業製品ではなくて、大変に人の手間のかかった物です。それをいこして煙にいぶされながら調理するのは利便性の対極にある物ですが、何をすき好んでか人はその楽しみを捨てられません。暮らしの中にある楽しみは往々にしてこのように手間隙かかるものに有る、いや手間がかかるから〈楽しみ〉なのではないでしょうか。
友人達を自宅に招いてパーティーするよりも、居酒屋で宴会するほうが手間要らずです。季節ごとの行事に合わせて飾り付けを準備するより、高価な置物を飾りっぱなしにしておくほうが手間要らずです。毎年暮れの大掃除に障子紙を張り替え無くても良い、破れない障子は手間要らずです。しかし、こうした物には一種の楽しさ、便利さはあっても〈楽しみ〉は有りません。〈楽しみ〉とはより深い満足感を伴った楽しさです。先の「文明」と「文化」の定義に従えば、〈楽しみ〉は「文化」のなかにあると言えるでしょう。
「住まい」が趣味!
最近読んだ本で気に入ったのがこのフレーズです。この回のサブタイトルに拝借しました。書名は「ドイツ快適住宅物語」中公文庫、著者はグレーフェ搦q。ドイツの住まいについて書かれたものですが、そのなかにドイツ人がどれほど住まいに手間隙を掛けているかということが書かれています。
そして、その手間隙掛けることを楽しんでいるかということを。また、「整頓は人生の半分」というドイツの諺も紹介されています。整理整頓すれば、人生半分は片付いたことで、その後半分は楽しめるという意味合いがあるそうです。整理整頓に対するドイツ人の意識が表れています
「棲むを楽しむ」ということは、明らかに楽しそうなことをすると言うのではなく、つまりは、整理整頓や住宅の手入れなど、一般的には面倒で手間隙かかる苦役に対して、どれだけそのことを楽しんで出来るかということになるのでしょう。また、なれる事だというのをこの本を読んで思いました。
住まいに居付いて日々起きてくる瑣末事に喜びをもって向き合う、「住まい」が趣味の暮らしが、「棲むを楽しむ」ということです。