海外からの視点
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| ペリーさんの作品〈Sukima〉。真ん中部分のチラリズムと広葉樹材が新鮮。 |
友人のアメリカ人家具デザイナー、ペリーさん、の作品展があった。来日当初、温厚な人柄とは裏腹な斬新で攻撃的ともいえるデザインに、唸りながらも、敬遠気味。在日13年経った今回の作品は、遊びを残しながら、柔らかなイメージに素材の温かさ、美しさが引き出されていて、親近感を覚える。
中でもユニークなのは、洋梨材の収納棚。扉を閉じても、真ん中部分に少し隙間が残るようになっている。
「ゴミや埃が入るじゃない。」「依頼主にも、そういわれたよ だけど、部屋に入ってきた時にチラリと見える中、正面から見てチラリと見える中、見る角度によって表情が変化して、楽しんでもらっている。この発想は、日本の“間”からヒントを貰ったんだ。」
文化の喪失?
なるほど・・・そういえば、襖や障子などの建具も、二間続きの部屋として利用する時、一室で利用する時、入室時、座った時、様々な表情を楽しめる工夫がされている。空間だけではなく、季節や一日の移り変わり、光や庭との関係も計算されていた。
床の間、欄間などの個々の構成材も同様だ。美と機能が見事に融合された文化だったワケで、それが、「Wonderful!」と絶賛されてきたのだ。その根底には、独特の“間”の文化があり、縦糸に時間、横糸に空間が織成す、森羅万象との調和、絶妙のバランスがあった。そして、その“間”に応じた“空気を読む”ことは、武術、人づきあいなど諸事全般の基本でもあり、建築の有り様でもあったように思う。
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| T.I.A.所長、トゥリオの自邸〈Tokonoma〉。向かって左が床の間。南向きの大きな窓に設けた。“床柱”は、敷地に生育していた木。家族総出で皮を剥いだ。日本式だ、ということだが・・・床の間の前の檻の中に鎮座まします正客は、飼い犬のSuki。本人が楽しければ、なんでもあり。 |
住まいが自然と対峙するためのシェルターとしての役割で、美の追求は、専ら加飾に委ねてきた西洋文化とは、ずいぶん違っている。しかし・・・物資が豊かになり、グローバル化した現代では、この文化が生み出した様々な現象は、生活に合わなくなった。変化のスピードは加速し、次々と増える「機能」で蛸あしどころか、ムカデ足配線状態だ。便利で快適の恩恵にどっぷりと浸かっている私としては、消灯しても、部屋のここかしこで終日点灯している、小さな赤い灯、青い灯のスイッチを切ることはできない。夜間の窓開放が困難な、都会の熱帯夜の涼風は欠かせない。
建築化設備
一概には言えないが、滞在していたアメリカは、住まいにおける設備による機能と美は、現代の日本の住まいより、調和が取れている。セントラル・システムの賛否はともかくとして、設備類の多くは、住まいと一体のものとして、設計に組み込まれている。設備は、後付けのものではなく、その空間に適したものが、設計の段階で、住まいと一体のものとして検討されているのだ。最も根本的な日常生活で必要とされる、構造や設備は、隠蔽部分が多く、生活者も実感が薄い。そのためか、日本では設計の段階で、予算削減や後付けの対象になり易い。床、壁、天井には剥き出しの機器類、配管、コードが、処狭しとひしめき合い、機能と美の調和がとれた“間”はなくなってしまった。
Let's 温故知新
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| 上山温泉、村尾旅館。上げ下げ障子の向こうに、縁側。その向こうの庭が見える。雪深い山形は、積雪に耐えるため、構造材は太め。それに合わせて、建具の桟や枠も太めで豪快。 |
現代生活では、自然だけではなく、電気、ガス、空調などの設備をも含めた調和を検討する必要がある。視覚だけではなく、五感で感じ取る、豊かな時間と空間を演出したいものだ。そのためには、住まい手にも、“どのように暮らしたいか”、というビジョンが不可欠だ。皆様も、ちょいと粋でイナセな旦那になった気分で、現代版“間”のある住まいづくりにチャレンジしてみられては、いかがだろうか。