霧深い朝?
4月初旬、八分咲きの桜の花を窓越しに見られることを楽しみに、姫路に向った。JR大阪駅で、「舞子付近霧のため、徐行運転中」とのアナウンス。確かに海岸沿いは、視界が悪い。明石大橋も、桜もぼんやりとしている。帰りは霧も晴れているはず…ところが、朝と同じ状態である。これは、霧ではない。黄砂だ。年々ひどくなるように思う。同日、北京のテレビ中継は、アナウンサ―がしゃべることが困難なほどだったらしい。
黄土高原
北京の空は、黄砂に石炭の煙が混じり、常に霞がかかったように、低く、澱んでいて、気分までが滅入りそうだ。郊外に続く、乾燥した大地には、緑の木々の代わりに、色取り取りのビニール袋が舞っている。山西省大同の“黄土高原”と呼ばれる砂漠地帯の東北端で、「緑の地球ネットワーク」が植林活動を始めて、15年。一本ずつ植林する地道なNPO活動だ。活動に参加して12年経つもものの、現地を訪れたことは一度だけ。大同市内から一歩出ると、そこは乾燥地。大同市から南下の途中、北京の水源地、と位置付けられる「桑干河」上流の橋を渡る。
だが、水はない。大地は、水を蓄えることができず、時にやってくる雨は、すべて、砂状の大地とともに、流され、乾いた浸食の谷が残る。井戸は加速度的に深くなり、地下水脈まで干上がる。井戸から水が汲めるのはまだいいほうで、よその村まで“貰い水”をしなければならない村もある。貰い水に来る人々は、その村人が水を汲み終わるのを待ち、一日がかりで運んでゆく。水溜りでは、家畜が水を飲み、糞尿をし、そばで洗濯もする。強風は砂嵐になり、空と大地の堺がなくなる。途中、大粒の砂をまき散らしながら、細かく軽い砂は、海を越え、日本にやってくる。
北京から大同はわずか380km。黄土高原は、緑豊かな土地であったが、都市が栄え、そこでの人間の活動で森は消えた。そして水がなくなり、空に砂が舞う。空気と水は一体であり、命の源は、緑であることを実感する。同時に、地球上で起こる活動は、すべて繋がっている、と認識を新たにする。中国に黄砂を送るな、といったところで、空に境界線は引けない。私達の生活は、その中国の経済活動の恩恵を受けた商品で溢れ返っているのだから、責任を押し付けることはできない。
循環型社会を目指して
水と空気は、飲んだり、吸ったりしているのは、ごくわずかで、ほとんどを、浄化作用に利用している。自然の循環で浄化作用ができなくなっているのだから、浄化促進剤であり、人間の手で変えることができる緑を増やし、守ってゆくことが必要だろう。手間がかかるし、掃除も面倒、という方には、もう一つの課題、排出物、ゴミの量を自然のバランスで処理できる程度に抑えることで尽力できる。どちらも無理、という方には、環境地域活動、NPO活動に寄付したり、積極的に社会貢献している企業(CSR)、の株を買ったり、商品を購買したりで参加可能。ちなみに、ダイキン工業の新製品のエアコンは、お掃除機能にプラス、ゴミを回収する機能がついている。企業としても高い技術でより環境負荷の少ない製品づくりで寄与している。さらに、建築を通じて社会貢献をしようと、日々、喘いでいる弱小建築士にもご支援いただけましたら、幸いです。
| |
|
 |
上北泉村の子供たち |